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1814年のオスウィーゴ砦の戦い(オスウィーゴとりでのたたかい、)は、米英戦争3年目の1814年5月6日、アメリカ合衆国ニューヨーク州オスウィーゴ砦と村をイギリス軍が襲撃した戦闘である。 == 背景 == オンタリオ湖が凍っていた1814年初期、イギリス海軍とアメリカ海軍の戦隊はそれぞれ2隻のフリゲート艦を建造し、それで来るべき作戦展開時期のオンタリオ湖支配権を競っていた。ジェイムズ・ルーカス・ヨー代将が指揮するイギリス海軍はまず最初のフリゲート艦を4月14日に完工したが、アイザック・チョウンシー代将のアメリカ海軍もさらに強力なフリゲート艦を完工させ、ヨーの戦隊は戦力で劣ることになった。 アッパー・カナダ副総督のゴードン・ドラモンド中将は、ヨーの戦隊がチョウンシーの戦隊より強力な間に、ニューヨーク州サケッツ港にあるアメリカ海軍の主要港かつ基地を攻撃することを提案していた。その守備隊は大半がナイアガラ川沖に動いており、僅か1,000名の守備隊が守るだけだった。それでもドラモンドは、強固に要塞化されたこの町を攻撃するために援軍を要請しており、カナダの軍政府長官ジョージ・プレボスト中将はそれを拒んだ〔Hitsman, p.208〕。 その代わりにドラモンドとヨーは、オスウィーゴ砦という小さな基地を攻撃することにした。この砦は近くにあるオスウィーゴ村と共に、ニューヨーク州からアメリカ軍物資を運ぶための重要な中継点だった。軍需物資、食料などの物資が、モホーク川を遡り、オナイダ湖を横切ってオスウィーゴに運ばれ、オンタリオ湖の南東隅を横切って、最終目的地のサケッツ港に運ばれていた。 ドラモンドとヨーは、この砦の守備隊が290名に過ぎないという信頼すべき情報を得ており、サケッツ港で建造中のチョウンシーの艦船に搭載する30門以上の大砲がそこで待機していると考えた。彼らはオスウィーゴを占領することで、これら大砲を捕獲でき、それによってヨーのチョウンシーに対する優勢を維持できると考えた〔Hitsman, p.209〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オスウィーゴ砦の戦い (1814年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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